2004年 08月 03日
バイリンガルには、わかるまい |
翌8月1日は、映画ファンサービスデーだったりしたので、長らく棚上げ状態になっていた『ロスト・イン・トランスレーション』を鑑賞。
ソフィア(コッポラ)の映画は初体験だったのだけれど、いやはや、見事なまでに、何とも金持ちのお嬢様らしい、スノッブなインテリ気取りの、無邪気な嫌味炸裂の、他愛のない独り善がりの、私小説風スケッチな仕上がりで、ヨーロッパかぶれで、名誉白人な、あたくしには心地良い映画でございました。
監督が、植民地主義的な感覚で注意深く配置したノイズ(日本語)が、意味を持った言語として耳に入ってくる時点で、この作品、日本人(というか、ネイティブな日本語スピーカー)にとっては、演出意図とは全く異なる位置付けの映画として楽しむチャンスが与えられているわけだが、せっかくだから日本語字幕も取り去って、(本来の思惑とは逆に)英語の部分はほとんど理解不能にしてみるのも、面白かったんじゃないかと思う。まぁ、バイリンガルなインテリの皆さんには関係ないことだが。
実際のところ、監督が異国のディスコミュニケ−ションの中で、うだうだと楽しんでいる悶々は、劇中、映画的には全く演出されていないTVショウのホスト、マシュー南(a.k.a.藤井隆)が素のままに入れるツッコミ台詞「ちゃんと訳してね!」というノイズ(日本語)に集約されてしまっているのだから、日本語が分からないハリウッドの皆さんのように、脚本家の手腕を誉める(何とアカデミー脚本賞受賞)と言うわけにはいかない。だって、あれがそろばんずくとは、到底思えないもの。
ソフィア(コッポラ)の映画は初体験だったのだけれど、いやはや、見事なまでに、何とも金持ちのお嬢様らしい、スノッブなインテリ気取りの、無邪気な嫌味炸裂の、他愛のない独り善がりの、私小説風スケッチな仕上がりで、ヨーロッパかぶれで、名誉白人な、あたくしには心地良い映画でございました。
監督が、植民地主義的な感覚で注意深く配置したノイズ(日本語)が、意味を持った言語として耳に入ってくる時点で、この作品、日本人(というか、ネイティブな日本語スピーカー)にとっては、演出意図とは全く異なる位置付けの映画として楽しむチャンスが与えられているわけだが、せっかくだから日本語字幕も取り去って、(本来の思惑とは逆に)英語の部分はほとんど理解不能にしてみるのも、面白かったんじゃないかと思う。まぁ、バイリンガルなインテリの皆さんには関係ないことだが。
実際のところ、監督が異国のディスコミュニケ−ションの中で、うだうだと楽しんでいる悶々は、劇中、映画的には全く演出されていないTVショウのホスト、マシュー南(a.k.a.藤井隆)が素のままに入れるツッコミ台詞「ちゃんと訳してね!」というノイズ(日本語)に集約されてしまっているのだから、日本語が分からないハリウッドの皆さんのように、脚本家の手腕を誉める(何とアカデミー脚本賞受賞)と言うわけにはいかない。だって、あれがそろばんずくとは、到底思えないもの。
by scarpiaii
| 2004-08-03 01:31
| 映画館