2006年 08月 21日
7月に見た映画 |
『デスノート/前篇』
金子修介に一時の輝きが感じられないのは、与えられる脚本の稚拙さゆえ。平成『ガメラ』シリーズに限って言えば、伊藤和典がいかに貢献していたかということ。実際、原作モノの映画化に際して一番の罠は、原作に描かれたシーンの再現に腐心してしまうことだと思う。ビジュアル表現である漫画なら尚のこと呪縛は強かろう。未読の身にはどこまでが原作の再現なのか分からないが、サプライズを優先するあまり、心理描写をおろそかにする構成は共感を持てないし観ていて退屈ですらある。それを原作ソックリな描写で埋めあわせられると思っているなら映画作りの根本を揺るがしかねない。
『カサノバ』
稀代の女ったらしを主人公に据えるにあたって、客の共感を呼ぶための工夫、近年の作品で例えるならば『マスク・オブ・ゾロ』にもあったような捻りが見事に着地するエンディングが心地良い。コスチューム・プレイにおいて現代的な女性を描く違和感は致し方ないとしても、全く時代劇っぽくないのはご愛嬌で済まされるものなのか。
『インサイド・マン』
60~70年代犯罪モノを彷彿とさせる落ち着いた作風に加え、スターがスター然として撮られているのも素晴らしい。正直、スパイク・リーにこうした手腕があるとは意外だった。作品を印象付ける落ち着きは劇伴によるものも大きく、冒頭、映画ファンには『ディル・セ/心から…』の、ミュージカル好きには『Bombay Dreams』への流用でお馴染み、A.R.ラフマーンの"chaiiya chaiiya"によって期待感を煽られ、劇中、人物心理に寄り添うようなテレンス・ブランチャードのトランペットはジャズ・シネマ華やかなりし頃を思い起こさせる。
『着信アリFinal』
最初の続篇の時点で、破綻は限界点に達していたと思う。本作も開巻にセットしたミスリードを明かす辺りまでは、まぁ観られないこともないが、そこから畳み掛けるように壊れていく絵づくりとドラマツルギーは自主映画よりヒドイ。死の予告電話という着想を恨み話に落とし込むこと自体に無理があり、最初の映画ですら三池崇史の力技が無くてはとても観られたものじゃなかっただろう。何でもかんでも怨念で片づけるのは所謂、Jホラーブームの悪しき部分で、その結果、ブームは広がりを見せることなく去ろうとしている。
『バタリアン4』
『スパイダー・パニック!』の時は、才気奮発という印象だったエロリー・エルカイェムだが、演出家ひとりの力の限界を感じずにいられない。全く魅力的でないキャラクターや描くべきものを掴めていないシーンなど、脚本に起因すると思われる拙さは、クレジットされたライターのみではなく監督にも責めを負わせるべきだが、低予算ゆえの人材確保の難しさが透けてもみえ、全篇に漂う雰囲気は哀れですらある。そんな中、シリーズの矜持とも思える特殊メイクとエフェクトが孤軍奮闘をみせる。
『M:i:III』
オリジナルの魅力からかけ離れた2作目の後では、チームプレイをふんだんに盛り込んだ本作が歓迎されるのも頷ける。原作ファンの思い入れを逆撫でするかのようなどんでん返しを仕掛けた1作目もあるから、本作をして、これぞ『スパイ大作戦』と絶賛したくなる気持ちは良く分かる。
しかしだ、フェルプス君。例によって君、もしくは君のメンバーが捕らえられ、あるいは殺されても、当局は一切、関知しない、のではなかったか? であるとすれば、本作は冒頭から『スパイ大作戦』たり得ず、仕掛けられたどんでん返しもすぐさま見抜けてしまうはずだ(残念ながら作り手が自覚的にそう設定しているとは見えない)。
TVシリーズのクリエイターらしいクリフハンガーの変奏であるアヴァン・タイトルも、『スパイ大作戦』的に切り抜けるところまでは良いが、その後に続く長台詞はいかにも説明的で退屈。まぁしかし、毎度、内部に裏切り者がいるとあっては、イーサン・ハントじゃなくても"We Are Family"って歌い出したくもなる、その瞬間は素晴らしい。
『カーズ』
NASCARを舞台に鼻っ柱の強い若者が、ベテランによってレースの手ほどきを受けるというプロットは、『デイズ・オブ・サンダー』のリメイクといってもいい。エモーションのために現実のレースではありえない、危険極まりない行為に及ぶ辺りは『ドリブン』の影響も見て取れる。しかし何より、クライマックスに至りそれまで空席だったライトニング・マックイーンのチーム監督の席にヘッドギアを着けた彼を据えるものだから、ハリウッドとレースの蜜月を追いかけてきた者には1本の映画を越えた感傷が呼び起こされるのだ。
『パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト』
第3弾への興味のみが辛うじて長丁場を牽引する続篇。良く出来ていた前作に比べ脚本未完成のまま撮入した本作は開巻早々、粗を露呈する。前半の現地人に囚われる件は冗長でなかなか本題(デッドマンズ・チェスト)に入らないため退屈ですらある。その後の展開でも、ジャック・スパロウとエリザベス・スワンの恋愛感情など、前作ほど物語にマッチしているようには見えず(それは演出家のせいもあろう)、完結しない物語の難しさを痛感する。脚本家テッド・エリオット&テリー・ロッシオ組というのは、80年代におけるローウェル・ガンツ&ババルー・マンデル組に近い印象があって、当たり外れが多いというか、当たりが執筆されることが奇跡的という感覚からすると、今回は実力通りといったところか。1作目のジェフリー・ラッシュはもちろん、今回もステラン・スカルスガルド、ビル・ナイといった親父達が素晴らしい。
金子修介に一時の輝きが感じられないのは、与えられる脚本の稚拙さゆえ。平成『ガメラ』シリーズに限って言えば、伊藤和典がいかに貢献していたかということ。実際、原作モノの映画化に際して一番の罠は、原作に描かれたシーンの再現に腐心してしまうことだと思う。ビジュアル表現である漫画なら尚のこと呪縛は強かろう。未読の身にはどこまでが原作の再現なのか分からないが、サプライズを優先するあまり、心理描写をおろそかにする構成は共感を持てないし観ていて退屈ですらある。それを原作ソックリな描写で埋めあわせられると思っているなら映画作りの根本を揺るがしかねない。
『カサノバ』
稀代の女ったらしを主人公に据えるにあたって、客の共感を呼ぶための工夫、近年の作品で例えるならば『マスク・オブ・ゾロ』にもあったような捻りが見事に着地するエンディングが心地良い。コスチューム・プレイにおいて現代的な女性を描く違和感は致し方ないとしても、全く時代劇っぽくないのはご愛嬌で済まされるものなのか。
『インサイド・マン』
60~70年代犯罪モノを彷彿とさせる落ち着いた作風に加え、スターがスター然として撮られているのも素晴らしい。正直、スパイク・リーにこうした手腕があるとは意外だった。作品を印象付ける落ち着きは劇伴によるものも大きく、冒頭、映画ファンには『ディル・セ/心から…』の、ミュージカル好きには『Bombay Dreams』への流用でお馴染み、A.R.ラフマーンの"chaiiya chaiiya"によって期待感を煽られ、劇中、人物心理に寄り添うようなテレンス・ブランチャードのトランペットはジャズ・シネマ華やかなりし頃を思い起こさせる。
『着信アリFinal』
最初の続篇の時点で、破綻は限界点に達していたと思う。本作も開巻にセットしたミスリードを明かす辺りまでは、まぁ観られないこともないが、そこから畳み掛けるように壊れていく絵づくりとドラマツルギーは自主映画よりヒドイ。死の予告電話という着想を恨み話に落とし込むこと自体に無理があり、最初の映画ですら三池崇史の力技が無くてはとても観られたものじゃなかっただろう。何でもかんでも怨念で片づけるのは所謂、Jホラーブームの悪しき部分で、その結果、ブームは広がりを見せることなく去ろうとしている。
『バタリアン4』
『スパイダー・パニック!』の時は、才気奮発という印象だったエロリー・エルカイェムだが、演出家ひとりの力の限界を感じずにいられない。全く魅力的でないキャラクターや描くべきものを掴めていないシーンなど、脚本に起因すると思われる拙さは、クレジットされたライターのみではなく監督にも責めを負わせるべきだが、低予算ゆえの人材確保の難しさが透けてもみえ、全篇に漂う雰囲気は哀れですらある。そんな中、シリーズの矜持とも思える特殊メイクとエフェクトが孤軍奮闘をみせる。
『M:i:III』
オリジナルの魅力からかけ離れた2作目の後では、チームプレイをふんだんに盛り込んだ本作が歓迎されるのも頷ける。原作ファンの思い入れを逆撫でするかのようなどんでん返しを仕掛けた1作目もあるから、本作をして、これぞ『スパイ大作戦』と絶賛したくなる気持ちは良く分かる。
しかしだ、フェルプス君。例によって君、もしくは君のメンバーが捕らえられ、あるいは殺されても、当局は一切、関知しない、のではなかったか? であるとすれば、本作は冒頭から『スパイ大作戦』たり得ず、仕掛けられたどんでん返しもすぐさま見抜けてしまうはずだ(残念ながら作り手が自覚的にそう設定しているとは見えない)。
TVシリーズのクリエイターらしいクリフハンガーの変奏であるアヴァン・タイトルも、『スパイ大作戦』的に切り抜けるところまでは良いが、その後に続く長台詞はいかにも説明的で退屈。まぁしかし、毎度、内部に裏切り者がいるとあっては、イーサン・ハントじゃなくても"We Are Family"って歌い出したくもなる、その瞬間は素晴らしい。
『カーズ』
NASCARを舞台に鼻っ柱の強い若者が、ベテランによってレースの手ほどきを受けるというプロットは、『デイズ・オブ・サンダー』のリメイクといってもいい。エモーションのために現実のレースではありえない、危険極まりない行為に及ぶ辺りは『ドリブン』の影響も見て取れる。しかし何より、クライマックスに至りそれまで空席だったライトニング・マックイーンのチーム監督の席にヘッドギアを着けた彼を据えるものだから、ハリウッドとレースの蜜月を追いかけてきた者には1本の映画を越えた感傷が呼び起こされるのだ。
『パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト』
第3弾への興味のみが辛うじて長丁場を牽引する続篇。良く出来ていた前作に比べ脚本未完成のまま撮入した本作は開巻早々、粗を露呈する。前半の現地人に囚われる件は冗長でなかなか本題(デッドマンズ・チェスト)に入らないため退屈ですらある。その後の展開でも、ジャック・スパロウとエリザベス・スワンの恋愛感情など、前作ほど物語にマッチしているようには見えず(それは演出家のせいもあろう)、完結しない物語の難しさを痛感する。脚本家テッド・エリオット&テリー・ロッシオ組というのは、80年代におけるローウェル・ガンツ&ババルー・マンデル組に近い印象があって、当たり外れが多いというか、当たりが執筆されることが奇跡的という感覚からすると、今回は実力通りといったところか。1作目のジェフリー・ラッシュはもちろん、今回もステラン・スカルスガルド、ビル・ナイといった親父達が素晴らしい。
by scarpiaii
| 2006-08-21 01:59
| 映画館