2006年 01月 01日
2005年を総括する。<映画篇> |
約100本の新作を劇場で見た。
その中からベストを挙げるとすれば、今後への期待値も込めて『バタフライ・エフェクト』だろう。タイムトラベルもの特有のツイスティーな筋運びが心地良く、物語に誠実な決着のつけ方も好感が持てる。何年もかかってリライトしてきたこの脚本のクオリティーを次回作でも期待したい。
邦画では、こちらも大傑作というわけではないが『奇談』。諸星大二郎の原作漫画を知っている多くの人々は出来に不満もあろうが、無知故にその物語をこの映画によって発見した歓びは紛れもない事実である。
ワーストというわけではないが、『シン・シティ』には今のところ異を唱えておきたい。コミックの映画化としてブレークスルーになりうる方法論を提示した功績は認めつつも、今現在、旧来の映画を見続けて来た立場から、「脚本」のクレジットのない作品を映画として認めることは出来ない。今後、映画館で上映されるものがどう変容していくのかはともかく、今日のところは「これは映画ではない」と断じておこうと思う。
と言いつつも名脚本家/監督ビリー・ワイルダーの後継を自認するキャメロン・クロウの新作『エリザベスタウン』の仕上がりを目にしてしまっては、旧来の映画の終焉もむべなるかなと思わずにいられない。観客のリードを過った演出によりペースを掴み切れず、腑に落ちぬまま多方面に触手を伸ばす物語は散逸し、エンドロールを目にする頃には一体何を見せられたのかと自問せずにはいられない。しかしながら、この手の映画は再見時に思わぬ姿を見せてくれることもあるので、とりあえず評価は保留とする。
音楽ものでは、何といっても遂に完成した『オペラ座の怪人』。初見時には、あまりに捻りのない映画化に凡庸さを印象づけられたものだが、それは原作ミュージカルの持つ致命的な構成上の問題をそのまま移植しているからに他ならず、映画化作品の欠点とは言い難い。それよりも映画化によって新たに加味されたもの、見えてきた部分にこそ目を向けるべきだろう。詳述は差し控えるが、良くも悪くも主演女優ありきでスタートした原作ミュージカルのキャストに比べ、映画版のキャスティングは、伝統的な音楽対反逆者による新しい音というロック以降のポップミュージックにおける対立構造を適格に表現している。本作がロック・オペラと称される所以があるとすればこの音楽性の対峙を擬人化して見せたからだということがこの映画を見ると良くわかる。初演当時、ポップチャート向けシングルとしてリリースされたサラ・ブライトマン&スティーヴ・ハーレイヴァージョン以来の復活を果たしたタイトル曲コーダ部分の高音に絡むギターソロが本作のテーマを如実に物語っているのだ。
一方、100本の中には『ハイド・アンド・シーク/暗闇のかくれんぼ』や『SHINOBI』など、単なる思いつき以上の存在理由を見い出すことの出来なかった作品もある。両者とも役者を魅せるということに腐心するあまり(というより役者のパフォーマンスによりかかるあまり)、製作過程において失われてしまったものが映画そのものであるということに気づいていない。役者の顔見世興行という意味では危ういバランスの上に成り立っていた『オーシャンズ11』の続篇も、その再現には至らず、『着信アリ2』『THE JUON/呪怨』『あずみ/Death Or Love』『ザ・リング2』『ザスーラ』といった続篇・リメイクの凡作の列に仲間入りを果たした。
同じことの継続がすべて駄目だという訳ではなくジョージ・A・ロメロ久々のゾンビもの『ランド・オブ・ザ・デッド』や難病お涙頂戴ものに転んだかと思いきや『オープン・ユア・アイズ』『アザーズ』と同様、死人がウロウロするアレハンドロ・アメナーバルの『海を飛ぶ夢』、シリーズを支えてきた脚本家による初メガホンとなった『チャイルド・プレイ/チャッキーの種』やダーク・キャッスルの新作『蝋人形の館』は偉大なるマンネリと賞賛したい。
手持ちカメラと目紛しい編集、さらに最近はサブタイトルを駆使したグラフィック表現に御執心のトニー・スコットも安定しているが、年に2本(『マイ・ボディガード』『ドミノ』)となるといささか食傷気味。とはいえ「実話に基づく」と括っておきながら次第にフィクションへとスリップしていく小気味良い脚本(リチャード『ドニー・ダーコ』ケリー)に免じて『ドミノ』は記憶に止めておこう。
最後に『スター・ウォーズ』の完結(『エピソード3/シスの復讐』)を取り上げなければならない。実際、このシリーズが無ければ映画館通いを始めることもなかっただろうし、他の映画への興味は『スター・ウォーズ』の新作を待ちきれないが故の代替行為であったとも言える。いつの日か新作がやってくるかもという新たなる希望が打ち砕かれた今後、映画館通いからいったい何が見えてくるのだろうか。
その中からベストを挙げるとすれば、今後への期待値も込めて『バタフライ・エフェクト』だろう。タイムトラベルもの特有のツイスティーな筋運びが心地良く、物語に誠実な決着のつけ方も好感が持てる。何年もかかってリライトしてきたこの脚本のクオリティーを次回作でも期待したい。
邦画では、こちらも大傑作というわけではないが『奇談』。諸星大二郎の原作漫画を知っている多くの人々は出来に不満もあろうが、無知故にその物語をこの映画によって発見した歓びは紛れもない事実である。
ワーストというわけではないが、『シン・シティ』には今のところ異を唱えておきたい。コミックの映画化としてブレークスルーになりうる方法論を提示した功績は認めつつも、今現在、旧来の映画を見続けて来た立場から、「脚本」のクレジットのない作品を映画として認めることは出来ない。今後、映画館で上映されるものがどう変容していくのかはともかく、今日のところは「これは映画ではない」と断じておこうと思う。
と言いつつも名脚本家/監督ビリー・ワイルダーの後継を自認するキャメロン・クロウの新作『エリザベスタウン』の仕上がりを目にしてしまっては、旧来の映画の終焉もむべなるかなと思わずにいられない。観客のリードを過った演出によりペースを掴み切れず、腑に落ちぬまま多方面に触手を伸ばす物語は散逸し、エンドロールを目にする頃には一体何を見せられたのかと自問せずにはいられない。しかしながら、この手の映画は再見時に思わぬ姿を見せてくれることもあるので、とりあえず評価は保留とする。
音楽ものでは、何といっても遂に完成した『オペラ座の怪人』。初見時には、あまりに捻りのない映画化に凡庸さを印象づけられたものだが、それは原作ミュージカルの持つ致命的な構成上の問題をそのまま移植しているからに他ならず、映画化作品の欠点とは言い難い。それよりも映画化によって新たに加味されたもの、見えてきた部分にこそ目を向けるべきだろう。詳述は差し控えるが、良くも悪くも主演女優ありきでスタートした原作ミュージカルのキャストに比べ、映画版のキャスティングは、伝統的な音楽対反逆者による新しい音というロック以降のポップミュージックにおける対立構造を適格に表現している。本作がロック・オペラと称される所以があるとすればこの音楽性の対峙を擬人化して見せたからだということがこの映画を見ると良くわかる。初演当時、ポップチャート向けシングルとしてリリースされたサラ・ブライトマン&スティーヴ・ハーレイヴァージョン以来の復活を果たしたタイトル曲コーダ部分の高音に絡むギターソロが本作のテーマを如実に物語っているのだ。
一方、100本の中には『ハイド・アンド・シーク/暗闇のかくれんぼ』や『SHINOBI』など、単なる思いつき以上の存在理由を見い出すことの出来なかった作品もある。両者とも役者を魅せるということに腐心するあまり(というより役者のパフォーマンスによりかかるあまり)、製作過程において失われてしまったものが映画そのものであるということに気づいていない。役者の顔見世興行という意味では危ういバランスの上に成り立っていた『オーシャンズ11』の続篇も、その再現には至らず、『着信アリ2』『THE JUON/呪怨』『あずみ/Death Or Love』『ザ・リング2』『ザスーラ』といった続篇・リメイクの凡作の列に仲間入りを果たした。
同じことの継続がすべて駄目だという訳ではなくジョージ・A・ロメロ久々のゾンビもの『ランド・オブ・ザ・デッド』や難病お涙頂戴ものに転んだかと思いきや『オープン・ユア・アイズ』『アザーズ』と同様、死人がウロウロするアレハンドロ・アメナーバルの『海を飛ぶ夢』、シリーズを支えてきた脚本家による初メガホンとなった『チャイルド・プレイ/チャッキーの種』やダーク・キャッスルの新作『蝋人形の館』は偉大なるマンネリと賞賛したい。
手持ちカメラと目紛しい編集、さらに最近はサブタイトルを駆使したグラフィック表現に御執心のトニー・スコットも安定しているが、年に2本(『マイ・ボディガード』『ドミノ』)となるといささか食傷気味。とはいえ「実話に基づく」と括っておきながら次第にフィクションへとスリップしていく小気味良い脚本(リチャード『ドニー・ダーコ』ケリー)に免じて『ドミノ』は記憶に止めておこう。
最後に『スター・ウォーズ』の完結(『エピソード3/シスの復讐』)を取り上げなければならない。実際、このシリーズが無ければ映画館通いを始めることもなかっただろうし、他の映画への興味は『スター・ウォーズ』の新作を待ちきれないが故の代替行為であったとも言える。いつの日か新作がやってくるかもという新たなる希望が打ち砕かれた今後、映画館通いからいったい何が見えてくるのだろうか。
by scarpiaii
| 2006-01-01 23:33
| 映画館