2007年 06月 07日
『主人公は僕だった』 |
監督:マーク・フォースター、脚本:ザック・ヘルム
物語は遠く地球を見つめるナレーションから始まる。ナレーションによれば、これは平凡な国税官ハロルド・クリックと彼の腕時計の物語。ナレーションは、彼の寸分違わない日常生活を描写することからスタートする。こうして観客は彼の人となりと、彼を取り巻く環境を知る。そこで描写される職探しをする黒人女性と、自転車を買ってもらった少年の無関係なこと。
もちろん、日常生活の繰り返しだけでは、物語は動き出さない。ナレーションはこう告げる「彼の日常は相も変わらず寸分違わず」。発端は彼自身が、映画を観ている我々と共にそのナレーションを聞いてしまったことだ。そして物語が始まる。
前作『ステイ』に続き、仕掛けの施された脚本に取り組んだマーク・フォースター。思えば、その前の『ネバーランド』も想像力の跳躍をビジュアルで表現する作品であった。観客を翻弄することを目的とすれば、いくらでもあざとく作れるこの手の題材を、几帳面で誠実な演出で構成していく手法には、作家性やスタイルといった、派手さは無いものの、こうして続けて観ていくと、なんだか好感が持ててくる。
不条理劇のような大仕掛けでありながら、実はシンプルなボーイ・ミーツ・ガールの物語に落とし込んでいく脚本の可愛らしさも、フォースターの作風にマッチしている。
物語は遠く地球を見つめるナレーションから始まる。ナレーションによれば、これは平凡な国税官ハロルド・クリックと彼の腕時計の物語。ナレーションは、彼の寸分違わない日常生活を描写することからスタートする。こうして観客は彼の人となりと、彼を取り巻く環境を知る。そこで描写される職探しをする黒人女性と、自転車を買ってもらった少年の無関係なこと。
もちろん、日常生活の繰り返しだけでは、物語は動き出さない。ナレーションはこう告げる「彼の日常は相も変わらず寸分違わず」。発端は彼自身が、映画を観ている我々と共にそのナレーションを聞いてしまったことだ。そして物語が始まる。
前作『ステイ』に続き、仕掛けの施された脚本に取り組んだマーク・フォースター。思えば、その前の『ネバーランド』も想像力の跳躍をビジュアルで表現する作品であった。観客を翻弄することを目的とすれば、いくらでもあざとく作れるこの手の題材を、几帳面で誠実な演出で構成していく手法には、作家性やスタイルといった、派手さは無いものの、こうして続けて観ていくと、なんだか好感が持ててくる。
不条理劇のような大仕掛けでありながら、実はシンプルなボーイ・ミーツ・ガールの物語に落とし込んでいく脚本の可愛らしさも、フォースターの作風にマッチしている。
by scarpiaii
| 2007-06-07 22:59
| 映画館